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D3ブログ - 『銀座展望台』10月3日(火曜日)曇

『銀座展望台』10月3日(火曜日)曇

カテゴリ : 
銀座一丁目ブログ
執筆 : 
makiuchi 2017-10-3 8:12
▲「銃を持つ民主主義」アメリカはいい加減こんな代名詞を返上したらどうか。ラスベガスで1日夜10時ビルの32階から男がマシンガンで野外音楽場でカントリーミュージュックを聞いていた観客向けて乱射、59人の死者と527人の負傷者を出す。過去最大の惨事である。
米国憲法修正2条は市民の武器保持を認めている。『紀律ある民兵は自由国家の安寧にとりて必要であるから人民の武器を保蔵し又携帯するの権利は、これを損ふことを得ず』とある。
この修正条項が出来て226年たつ。今後も惨事は続く。日本であれば解釈憲法で国民が銃を持てなくなる厳しい銃規制をするであろうが・・・
▲靖国神社に参拝(2日)。外国人の姿目立つ。大鳥井の近くで8人の外国人が日本人ガイドの説明を聞いていた。
貞明皇后御歌
「羽車の今かわたらすすすりなく
やからの声のとほくきこゆる」
「遺書」陸軍軍曹  西島観空命
昭和19年10月10月20日ビルマ国モーライク県カレワ付近にて戦死  滋賀県長浜市宮司町出身  24歳
「大東亜戦争末期、日本軍は昭和19年3月、ビルマに対する連合軍の反抗を殲滅する目的でビルマからインド東北部のインパールへ作戦を開始した。世に悪評の高い「インパール作戦」である。ビルマ方面軍(軍司令官河辺正三中将・陸士19期)旗下の第15軍(軍司令官牟田口廉也中将・陸士22期)のもと第31師団(師団長佐藤幸徳中将・陸士25期)、第15師団(師団長山内正文中将・陸士25期),第33師団(師団長柳田元三中将・陸士26期)が参加した。初戦は勝利したものの空輸により増強された敵軍の反撃を食らい、多くの犠牲者をだし撤退を余儀なくされた。7月に河辺方面軍司令官が作戦中止を命令、撤退が始まった。8月末、チンドウィン河の渡河を完了した。西島軍曹が戦死されたのは10月20日。すでにインパール作戦が終わり、防戦一方の時期である。カレワはチンドウィン河の中部に位置する。出身が滋賀県であれば15師団と推定される。15師団には歩兵51連隊、歩兵61連隊67連隊,野砲兵第21連隊、工兵第15連隊、第15通信隊,輜重兵第15連隊などがいた。なおインパール作戦に参加した10万人のうち3万人が戦死、2万人が負傷.抗命の師団長も出、さらに3師団長も相次で罷免された異常な戦いであった。

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