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D3ブログ - 「銀座展望台」4月29日』(日曜日)晴

「銀座展望台」4月29日』(日曜日)晴

カテゴリ : 
銀座一丁目ブログ
執筆 : 
makiuchi 2018-4-28 20:33
▼4月29日から5月7日まで佐久平・軽井沢・戸隠ヘ骨休みに行ってきます。その間、「銀座展望台」を休みます。休み中「黙れ事件」をゆっくり読んでください。歴史は面白い。
▼自衛隊の3等空佐が路上で野党の国会議員に「お前は国民の敵」と罵倒したことから戦前国会で起きた「黙れ」事件がマスコミで話題となった。軍部が国会を軽視する出来事の一つとされている。調べてみると、少し事情が違うようである。軍部を悪く言うための材料にされたように節がある。
昭和13年(1938年)3月3日、衆議院総動員法案委員会で起きたことである。国家総動員法について陸軍省軍務課政策班長の佐藤賢了中佐(陸士29期・陸大37期・中将)が説明員として説明にあたった。それに対して宮脇長吉議員らがヤジを飛ばした。これに佐藤中佐が「黙れ」と怒鳴りつけた。これが事件の筋である。
佐藤中佐は杉山元陸軍大臣(陸士12期・陸大22期・敗戦時自決)の叱責を受け、陸軍大臣が翌日陳謝してことがおさまった。宮脇長吉議員は佐藤賢了中佐の士官学校時代の工兵科の術科担当教官(15期 元大佐)であった。佐藤中佐の同期生・額田坦中将(陸大40期・事件当時・補任課高級課員)に言わせると田中中佐が気合を入れて説明していると頻りに野次を飛ばしている議員がいる。見ると昔の宮脇長吉大尉殿である。思わず「黙れ」とやってしまった。後刻、佐藤君は「黙れ長吉」と喉まで出かかったが。「長吉」は抑えた。もし出ていれば「首だった」と呵々大笑していたという(佐藤賢了著「佐藤賢了の証言」・芙蓉書房刊)。
この本の中に額田坦中将が平沼騏一郎氏(枢密院議長・戦後A級戦犯として東京裁判で終身刑処せられ服役中死去)から聞いた話として「巣鴨《刑務所)にはいつでも首相の勤まる人が二人いますよ。それは加賀屋興宣君と佐藤賢了君です」というエピソードが載っている。佐藤中将は東京裁判では終身刑に処せられ昭和31年3月31日仮出所し昭和31年4月7日放免された。これを見ると佐藤賢了中将は相当の人物である。
さらに元衆議院議員の林唯義さんが直接本人から聞いた話がのっている。林さんは近衛文麿公と親しかった方である。「代議士全般に対する誹謗ではなく陸軍出身の宮脇長吉氏が自分の育った陸軍に対して実に皮肉きわまる悪意に満ちた質問で食い下がった。たまりかねた佐藤さんは『黙れ長吉』というべきところを押さえて『黙れ』と言ってしまった。従ってことは宮脇個人と佐藤個人との感情的なものが出たにすぎず軍の先輩の間の感情的縺れが経緯となって生じた発言に過ぎない.後に言う軍が国会を蔑視したとかいう問題では断じてなかった」(前掲「佐藤賢了の証言」より)
感情のもつれとはいえ「黙れ」は不穏当である。戦後でも吉田茂首相の「バカヤロー解散」がある。昭和28年2月28日の衆議院予算委員会で、吉田茂首相が社会党右派の西村栄一議員との質疑応答中、西村議員に対して「バカヤロー」と発言した。このため、吉田首相懲罰動議、内閣不信任案が出されて3月4日衆議院が解散されたことがある。
「寸鉄人を刺す」という言葉がある。短い鋭利な言葉で穂との急所を刺すことだが怒りから発する汚い言葉は避けて方がいい。我慢することだ。「口は災いのもと」は古今東西の鉄則である。

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