Welcome Guest 
メインメニュー
検索
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

  • カテゴリ 銀座一丁目ブログ の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

D3ブログ - 銀座一丁目ブログカテゴリのエントリ

▲「画かくべき夏のくだ物何々ぞ」子規
暑い日が続く。
食後の果物が一番美味しい。子規も果物が好きだったようである。
スイカ、メロン、ぶどう、 オレンジ。どれも美味し。
我が家の冷蔵庫にはこれらの果物が全てある。
「新型コロナウイルス」はなかなか沈静化しない。
この所ますます勢いを増した感がある。
感染者数、全国で4万余人。
年寄りは当分、外出は自粛を余儀なくされる。
梅雨が開けても鬱陶しさはなおも続きそうである。
「コロナ禍やいや増す夏日地獄舟」悠々
▲「艱難汝を玉にする」と諺がある。
多くの人が「艱難」に負けてしまう。挫折する。
目の前にそれを実行した人がいる。世の中は素晴らしい。
大相撲7月場所(東京両国)で13勝2敗で優勝した前頭17枚目の照ノ富士(28)である。
大関を経験しながらケガと糖尿病のため序2段まで落ちた男の復活劇である。5年ぶり2回めの優勝をする。
「やめなくてよかった」の言葉には実感がこもっていた。
相撲の世界では44年ぶりの快挙だという。大関魁傑が大関を陥落してから這い上がり2度連続優勝して大関に復活した例がある。
照ノ富士は今度は大関を目指して精進せねばなるまい。
照ノ富士よ、目標が出来た。これからも稽古を励め・・・
▲6日「広島原爆忌」。9日「長崎原爆忌」。
物理学者アインシュタインが原爆開発をルーズベルトアメリカ大統領に要請したのは1939年8月2日という。広島、長崎に原爆が投下される6年前である。
アメリカに亡命していたハンガリーの物理学者レオ・シラードはドイツがベルギー領のコンゴにあるウラニウムを使って原爆を作る恐れがあるとアインシュタインに伝えたからである。
ルーズベルト大統領はその年の10月には第一回会合を開き,総計20億ドルに達する原子爆弾開発計画を進めた、実験爆弾がニューメキシコの砂漠で炸裂したのは1945年7月16日であった。
日本の大本営第6課は外国通信社の情報として「ニューメキシコ州で新しい実験が行われた」ということを記録にとどめただけであった。「新しい実験とは何か」を追求しておれば面白かったといえる。歴史に「もし」はない。
それにしても何事にも疑問を持つことは大事なことである。歴史はそう教えている。
▲8月。私の誕生月である。31日で95歳になる。
歌人斎藤史の歌が身にしみる。
「おいとまいただきますと戸をしめて出てゆくようにゆかぬなり生は」
(POLITELY ASKING:
“WOULD YOU KINDLY ALLOW ME
TO TAKE MYLEAVE?“
GO、THE DOOR CLOSED BEHIND ME。
―I CAN`T LEAVE MY LIFE LIKE THAT・・・) 
年寄りの猫は日向ぼっこをしながら悩むのである。
▲関東地方の梅雨明けは8月4日頃か。いつもよりは遅い。
となれば38年ぶりという。誠に異常である。
台湾の李登輝元総統が亡くなった(7月30日)。享年97歳。京都大学出身で親日家であった。「台湾と日本は運命共同体である」といっていた。心からご冥福を祈りする。
「新型コロナウイルス」は一向に収まる気配がない。2日連続で感染者が1000名を超えた。東京は「感染拡大特別警報」を出す。飲食店・カラオケ店に営業時間の短縮などを要請する。年寄りはもっぱら外出自粛である。
「コロナ禍や本を枕に梅雨晴間」悠々
アメリカの4月から6月のGDPは-32.9%。史上最悪である。世界に与える影響甚大である。もちろんトランプ大統領の再選の芽は消えた。
▲現在被爆者と認定されている人は1万5289人である。これに今回84人がさらに加わった。戦後75年、原爆被爆者の苦難が今なお残されていた。戦争の傷跡は残酷である。
広島市や広島県安芸太田町の70~90代の男女84人(うち9人は死亡)が原爆投下後に「黒い雨」を浴びたのに、被爆者健康手帳の交付申請を却下したのは違法として、広市と広島県に却下処分の取り消しを求めた訴訟で、広島地裁は全員の却下処分を取り消し、被爆者と認める判決を言い渡した(29日)。
黒い雨について井伏鱒二の小説『黒い雨』には『毒素がある』と書いてある。国が雨の降った範囲を認定してもその周辺で黒い雨に濡れた人々は『毒素』が染み付いている。裁判長はそれを認めたのに過ぎない。
▲「コロナ禍やまたも友の死梅雨激し」悠々
前橋在住の同期生田浦浩君が亡くなったと奥さんから電話連絡があった(28日)
予科の中隊も区隊も違うし兵科も違うのだが私が代表幹事をしていた平成23年1月の全国幹事会議で知り合い、それ以来の付き合いである。
田浦君は平成23年にCD「昭和幻想」(作詞、田浦浩・作曲、双葉あきら・歌、高嶺はるか)を出した。ときに85歳。その歌詞に詠う。

 「山脈(やまなみ)は遠く輝き/ふるさとの 清き山河よ/われを支えし君の/瞳うるわし/ああ霧の向こうに咲く花ひとつ/白い花」(1番)

 田浦君が全国幹事会で発言したのは「士官候補生の矜持について」であった。私は幹事会が終わった後、彼に戦後どうのような思いで仕事をし、社会に尽したか、雑誌『偕行』に書いてほしいと頼んだ。原稿は「士官候補生(武士・さむらい)教師になるの記」と題して6月号に掲載された。そこには士官候補生の矜持を忘れず、不屈の意地を通した教師像が描かれていた。戦後、法務省に3年勤めた後夜間高校の教師となり、その間大学院で勉学、教育者として生きることを決意する。『教師は聖職に一身を捧げるために存在する』と言い切る。やがて校長となる。『良知を致す』を基本的立場として教育の原点に置く。校長でありながら授業を受け持つ。教師になるための学生たちに「良い生徒、出来る生徒こそ集団の牽引力であり全体の向上に役立つスターであると説く。見事な田浦君の生き様と感服した。

 「若人の心を砕く/時艱(とき)来たり 明日を信じて/君を憶うて 命/日々に捧げし/ああ霧の向こうに咲く花ひとつ/赤い花(2番)

 歌を始めたのは定年後からだという。群馬県作詞作曲家協会員でもある。「20世紀の大半を占める昭和の時代は、近代日本の盛衰を象徴する暦史を残した。当時の人々は、ひとしく苦難の道から平和への再建を果たし、ささやかながらそれぞれの愛に生きた。年を重ねた今、当時の生きざまが幻想となって、脳裏をかすめる。そして共に支えあったいとしい人を憶う」と田浦君は記す。

 「暗雲(くも)は去り 四海の波は/鎮まりぬ 昭和の愛を/年齢(とし)を重ねて 今も/歌う倖せ/ああ霧の向こうに 咲く花ひとつ/碧い花(3番)

心から田浦君のご冥福をお祈りする。
▲ペストが初めて流行したのは1347年から1349年の3年間である。ヨーロッパ全土を襲った。当時は『黒死病』と呼ばれた。黒海で発生しコンスタンティノープルを経てイタリアの各都市、スペイン、ドイツ、フランスに広がってスカンディナビィアまで伝わった。1348年を頂点として1388年まで続いた。
ペストの経路は貿易路に沿って広がってゆくことが判明、1377年7月27日アドリア海沿岸のヅプロフニーク市委員会はペスト流行地から来た旅行客・車・船を30日間隔離することを決めた。これが検疫のはじめだという。
それから673年後『新型コロナウイルス』が全世界で猛威を奮っている。ペストは「菌」である。だから薬で殺すことができる。しかし『新型コロナウイルス』は遺伝子情報を担う核酸(DNA)とそれを囲む蛋白核からなる微粒子である。だから体に取りつかれるととんでもない悪さをする。老人ほどその悪さに弱い。薬で殺すことは出来ないが取り除くことはできる。今世界で特効薬の開発を急いでいる。
▲東京都の感染者は26日、239人。これで6日間連続絵200人を超えた。感染経路不明者はなんと144人にのぼる。この人達の氏名を公表すればたちまち感染経路がわかる。「個人情報保護法」は自分たちの首を絞める法律であるのを未だに気が付かない。
私が住む街・府中の感染者は三多摩地区では八王子市125人についで124人である。どの地区で発生したのかわからない。市の広報はこの状況を一切載せない。
外出は自粛せざるを得ない。
「コロナ禍や本を枕に梅雨の空」悠々
佐伯泰英の「居眠り磐音」の主人公坂崎磐音の剣法は「春先の縁側で日向っぽこをしている年寄り猫」と表現される。この剣法こそ人生の極意である。意気込んだり、がむしゃらに向かってきたりする相手に春風駘蕩のんびりと相手する。最後に勝つという剣法である。まさに意地悪く、しつっこい今回の「新型コロナウイルス」に立ち向かうには誠に良いう方法だと思う。
だがこの「年寄り猫」になかなかなれない。すぐに人に噛みつきたくなるのは修練が足りない証拠である。
「コロナ禍に猫になりたや梅雨晴間」悠々
▲韓国の文在寅大統領が50代の男性から靴を投げられる事件が起きた、
靴は文大統領に当たらなかったが 男は「共産主義者の文在寅は直ちに自由大韓民国を出ていけ」などと叫んだという(16日)。
テレビに出演の識者は事件の背景には韓国の不動産の価格が50%を超える値上げをして「自分の家を持ちたい」という庶民の夢を壊されたからだと解説していた。
「大統領に投げられた靴」は文在寅凋落の印であろう。
。靴は庶民の悲痛な叫びである。声なき声が秘められている。
世論調査でも不支持率が支持率を上回っている。
これを機に文在寅大統領の求心力は急落していくであろう。
XOOPS Cube PROJECT