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D3ブログ - 銀座一丁目ブログカテゴリのエントリ

▼俳句は5・7・5で森羅万象を、この天地を切り取る。
「カフカ去れ一茶来れおでん酒」加藤秋邨(毎日新聞「季語刻々」12月4日)
いいね・・・
「枯芝に松緑なり丸の内」子規(明治28年12月の正岡子規の作)
うむ・・・
「なき友がゴルフに誘う冬日和」悠々
2日続けて亡くなった友人とゴルフをした夢をみた。よほど私が暇に見えたのであろう。昨今が外出の機会が少なくなった。「外へ出ろ」というメッセージと受け取る。
「町師走天に向ひて足場組む」真館昌代
いいね・・来る新しい年に向けて準備せよと云うのか、俳句は奥が深い。
▼共働きの女性には幼稚園に通う子供の昼弁当作りが苦手のようである。園長に「お昼の弁当は親の愛情のしるし」と言われて困惑していると聞く。「30分早く起きて作ってやれ」と大正生まれの男は言いたい。作ってやれば自ずと親の愛情が分かるであろう。親の愛はすべてその所作に現れる。手を抜けばすぐに子供にはわかる。子供は親の行動をよく見ている。
理屈ではない。
大人の話だが私にはこんな経験がある。ある男が昼の時、弁当を開いて思わずにっこりした。そこには食材を使って「バカ」と書いてあった。その朝、些細なことで夫婦喧嘩をした。気まずい思いをしてそのまま会社に出てきた。
夫婦が仲直りしたのは言うまでもない。
弁当は“愛情通信”なのである。
共働きの女性に弁当作りを強制つもりはない。
因果応報。
苦労は必ず良い実りをもたらしてくれる。くれなくても自分の心が満たされればそれでよいではないか。
▼清水英夫著『心なき記事』(山手書房・‘昭和55年1月1日第1刷刊)こんなことが書かれてある(要約する)。
「大正9年(1920年)に発行された『日本及び日本人』という雑誌に”百年後日本”という特集がある。当時活躍した3百数十人の知名人に、百年後の日本についての予想を、求めたものである。今日でいう学識経験者ないし文化人であるが国会議員や軍人も入っている。面白いのは概して教育者などの予想には全く見当違いが多いに反して新聞記者などがきわめて的確な判断を下していることである」として大阪毎日新聞の相島勘次郎と読売新聞の柴田勝衛の予想を紹介している。清水さん本が出たのが昭和55年。大正9年からではまだ60年しかたっていない。100年まであと40年あるがそれを考慮しての著者の判断であろう。大正9年から100年は2020年である。すでに2年を切った。
相島勘次郎は(1868年=明治元年から1934年=昭和9年)茨城県生まれ、慶応大学を出て明治23年大阪毎日新聞入社、編集主任、副主幹を務める。当時52歳、俳句をたしなみ虚吼と号した。国会議員にもなった。当時52歳。
柴田勝衛は(1888年=明治21年から1971年=昭和47年)、宮城県の生まれ、青山学院高等科を出て読売新聞社に入社,社会部長、整理部長、編集局長など歴任する。当時32歳。
相島勘次郎の予想―島国という天然は、非常に日本に幸いして、英国と共に世界の最冨強国となれり。しかも内政改善に対する努力のたらざる為か、世界の最幸福国民とはなりえざりし。時(百年後)の歴史家曰く「徳川幕府の倒るるまでに280年を費やしたり。官僚政治の民治化するには、なお百年を要すべしとー
2018年10月現在GDPの1位はアメリカ、3位、日本、5位、イギリスである。幸福度は1位、フイランド、54位、日本、19位、イギリスである。官僚政治は骨のある官僚が少なくなり「忖度」ばかりして公文書改ざんまで行われる始末である。
柴田勝衛の予想―一般投票も実現されるでしょうし,また女代議士なども現れないとはかぎりませんが、こうした表面的の変わり方は別として、千年近くも古くから、伝統的にけれんとごまかしとで世の中を渡ってきた今の政治家ならびにその後継者は、たとへ今後百年ぐらいの歳月を仮したところで、はたして、わたしどもの希望通り、真に民衆のために「にんげんとしてはだか」になってくれる人があるかどうか。・・・日本の政治が「政策」と「うそつき」とを区別する時期は、いつのことやらわからなくなります。・・・」
「普通選挙法」が出来たのは大正14年3月29日、納税要件が撤廃されて満25歳以上の男子に選挙権があたえられた。この法律の元での選挙は昭和3年2月20日実施された。有権者は1240万人。大正9年5月の選挙に比べると4倍に増えた。女性代議が誕生したのは昭和21年4月10日の総選挙で31人が当選した。“けれん”と“ごまかし”は今も続き「政策」と「うそつき」はさらにひどくなった。外国人労働者の受け入れを拡大する「入管法改正」はその最たるものである。今後少子化から労働力の不足は明白である。「移民政策」で対処するほかない。それを小手先でごまかす。「政策」と「うそつき」の区別がいまだについていない。この調子では今後100年待ってもダメであろう。
▼コーヒーを一日5・6杯飲む。現役のころは10杯を超えた。もちろん砂糖を入れない。お酒は全くだめだ。朝の一杯目のコーヒーには、中に米ヌカとココナツオイルを少し入れる。私の唯一の健康法である。
江戸時代からコーヒーは薬の効用があると珍重された。カフェインは脳の働きを活性化する。血流向上・体脂肪の燃焼促進などに効果もある。タンニンにはコレステロール値や血圧上昇の抑制作用,抗菌作用などがあるとされている。
毎日新聞社会部に昭和23年6月に入社した仲間10人は2011年5月に亡くなった高橋久勝君を最後に全員あの世に行ってしまった。大のコーヒー党の私だけが生き残った。高橋君は左党らしく「冥途ゆく吾を肴に古酒を酌め」の辞世の句を残す。
「木枯らしや我可否党生き残る」悠々
コーヒーが発売されるようになったのは明治6年、横浜で発売された。コーヒーの木が日本で植えられたのは小笠原島(明治11年7月)。現在日本各地でコーヒーの木が栽培されているが出荷額の一番多いのは兵庫県で544億3500万円である。可否茶館が上野デオープーンするのが明治21年4月である。その後デパートの食堂でも用意され、コーヒーの値段は5銭であった(明治40年4月)。コーヒーを飲ませる喫茶店が流行したのは昭和10年頃。東京には喫茶店の総数が約一万5千、純喫茶と言われる店が3千、そこで働く女性が5万人いたという。昨今はこのような美味しいコーヒーを飲ませる店が少なくなった。万事が手軽なナインスタントコーヒーである。
「客観のコーヒー主観の新酒哉」寺田寅彦
▼万葉集に子を思う歌がある。
「銀も黄金も玉も何せむ勝れる宝子に及かめやも」(巻5-803)
「銀母 金母玉母奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母」
少子化の時代、いじめが多発する昨今、親は子供お名前をどう付けるのだろうか。
男の子であれば「毅」「彊」「強」「剛」…女の子であれば「康子」「竹子」「和子」「幸子」・・・と思うのはどうも浮世離れをしているようだ。
今年子供の名で一番多かったのは男子が「蓮」女子が「結月」であった。
私の名前は「節男」。大正時代の天長節(大正14年8月31日)に生まれたから「節男」とつけられた。
子供の名は健やかに育ってほしいという願いを込めて男の子は「達夫」女の子は愛情が泉のようにはふれ出るようにと「いずみ」とつけた。
名は体を表すという。子供の将来を考えたらもっと慎重に選んだらよいと思うことしきりである。
▼横綱審議員会は横綱稀勢の里に「激励」の勧告をした。
「激励」とは「しっかりやれと励ますこと」である。横審も”粋なこと”をするなと感心したらそうではなかった。
横審の言う「激励」は最後通告。「初場所の成績が悪ければ引退してください」という意味だという。
初場所は来年1月13日から始まる。すでに年齢32歳。相撲の世界では若いとは言えない。原点に戻り、まず心を鍛え、基礎稽古に励むのが何よりだ。
いま稀勢の里に欠けているのは「必勝の信念」だ。相撲に気迫が見られない。自分で苦労して身につけるほかない。復活を待つフアンは多い。
▼大相撲九州場所で小結・貴景勝(22)13勝2敗で初優勝する。来場所11勝すれば大関になる可能性が出てきた。「努力と根性」の賜物という。厳しく育てた父親の存在も見逃せない。「若い力」の台頭がすばらしい。
▼台湾の22の市長選挙の結果与党・民進党6、野党国民党15、無所属1となる。中国寄りの野党国民党の勢いは次第に大きくなりつつある。「寄らば大樹の影」か。「長い物には巻かれよ」か。
▼渋谷区の小学生が”渋谷“を歌い踊るミュージカル「SHIBUYAぐるっとぐるぐる」を見る(11月25日渋谷区さくらホール)大人は脇役でわずか5人。後は小学生2年生から6年生まで61人。挨拶から舞進行まですべてこともたちがマイクを持って担当した。稽古日はたった11日しかなかったそうだがみんな元気よく楽しく舞台をつくった。渋谷区の未来は明るい。
▼23日は新嘗祭。この日宮中神嘉殿で「夕の儀」(午後6時から2時間)と「暁の儀」(午前11時から2時間)が行われる。
天皇陛下は湯で身を清め白の絹でできた「御祭服」に身を包み神前に新穀などを備える。祝詞を讀み自らも食べることによって五穀豊穣に感謝し、国の安寧を祈る。そばには皇太子さまが控える(毎日新聞11月22日)。
五穀とは稲・麦・アワ・キビ・豆をいう。
宮中祭儀のうち神代から続いているものの中で新嘗祭は最も古い。文正元年(1466年)御土御門天皇が御即位の大嘗会を行ってから新嘗祭は長い間中断されていたが元文5年(1740年)桜町天皇の時に再興された。この祭儀は古来11月下旬卯の日に行われていたが明治6年(1873年)から11月23日を新嘗祭と決まった(入江相政編「宮中歳時記」・TBSブルタニカ刊)。
▼庭の蜜柑を息子に採ってもらう(11月22日)。何年か前に脚立から落ちて腰を痛めてから息子に頼むことにした。今年は台風と強風でたくさんの蜜柑が大きくなる前に落ちて色つやも悪く、形も小さく出来があまりよくない。正月に来る曾孫がみかん狩りの真似事をさせるため低いところにある蜜柑を8つ残す。それでもとれた蜜柑は200個を超え、ダンボールで4箱にもなった。食べて見たら意外と甘かった。悪条件にめげず育った蜜柑だけのことはある。
▼「何処までつづくぬかるみよ」。先に韓国最高裁が日本企業に元徴用工の賠償を命ずる判決を下したのに続いて韓国は慰安婦財団解散発表する。設立3年間ですでに元慰安婦34人と遺族58人に合計4億2200万円が支給されている。3年前の日韓合意は「問題の最終的不可逆的な解決」であった。それを破棄すれば国と国の約束はできない。日本だけでなく他国からも信用されなくなるだろう。
満州育ちの私は小学生の頃、金という成績の良い元気な友達がいた。分け隔てなくつきあった。陸士時代にも朝鮮から来た同期生がいたが、いずれも優秀であった。韓国が訳の分からない国とは思わない。むしろ優秀な民族だと思う。一時の迷いだと考えたい。いずれ時間が来れば解決するであろう。隣国に位置する韓国との付き合いは時には喧嘩をしても仲良く付き合っていかなければならない。今は我慢の時期である。
▼『明日「木枯らし第一号」が吹く』と気象予報士が言っていた(11月20日夜)。
「凩によく聞けば千々の響き哉」子規
ともかく寒くなった。21日朝、なかなか布団から出られなかった。起床7時35分。
木枯らしとは「西高東低の気圧配置になって10メートル以上の強い北西風が吹き、翌日の日中の気温が前日より2から3度以上低くなった場合を言う」ようだ(倉嶋厚著「お茶の間歳時記」・文化出版局刊・昭和50年3月20日発行)木枯らし第一号の平均日は11月8日とある。この本が出てから43年、木枯らし第一号は2週間も遅くなっている。そう言えば帯広は19日初雪を記録した。平年より12日遅く、統計開始以来5番目に遅い記録だそうだ。これも気候温暖化が原因であろう。
加藤楸邨は「凩やかぎり知られぬ星の数」と詠んだ。
現代の俳人はそのような悠長なことを言っておれない。昨今の頻発する台風・豪雨の被害が浮かぶ。
「木枯らしや計り知れない山崩れ」悠々
XOOPS Cube PROJECT