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D3ブログ - 銀座一丁目ブログカテゴリのエントリ

▲横浜の竹内文子市長、カジノを含む総合リゾート施設建設にふみきる。 博打は胴元が儲かると相場が決まっている。 たしかに業者は儲かるかもしれないが横浜市の入る収入はわずか。 庶民は損をするばかりである。
もっと知恵を出せ。
横浜は明治時代文明文化が入ってきたところ。至るところにその”遺跡”が残っている。それに味付けて整備すれば立派な観光資源になる。
世界中から観光客を呼び込める。
例えばピアノ。明治から大正にかけて横浜港がその玄関口となった。 音楽をもっと活用せよ。
みなと祭を横浜まつりに拡大して月ごとのテーマにまつりを開催する方法もある。 市・大学・商店街・中華街・工場・企業連携して輪を広げれば知恵は自ずと出てこよう。
カジノはやめたほうが賢明である
▲日韓関係は果たしない泥沼に落ち込んだ。
河野太郎外相と韓国の康京和外相の会談で24日に更新期限を迎える日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)について、延長すべきだとする日本側に対して韓国側は検討中と答えた。
政治用語では「検討中」は「やらない」ということだ。ところが「制限」をつけて延長するようだ。
制限をつけて困るのは韓国側。これまで友好的であった日韓防衛当局もしっくり行っていないから当分は慌てずこのままでいけばいい。
とは言っても在韓米軍がいる限り日、韓、米の緊密な軍事関係は保たねばならない。いつまでも制限付きのままというわけにはいかないだろう。
解決策はあるのか。泥水を流すにはきれいな水が必要だが水が出るまでに時間がかかる。
時を待つしかないということである。
無策は賢策に似たり・・・・。
▲パリ・ルーブル美術館のダ・ウ゛ィンチの傑作「モナ・リザ」(1503-1506)が盗まれた事がある(1911年8月21日)。2年以上も行方がわからなかった。犯人はなんと美術館のイタリア人職員であった。自宅アパートのトランクの下に隠しておいた。犯行の動機が面白い。母国イタリアに売ろうとして発覚した。なんとしても母国に里帰りさせたいという愛国心であった。もとを正せばイタリアの商人が若い妻のためにダ・ウ゛ィンチに頼んだもの。それを仕事にかまけてモデルの商人の妻をほったらかしにしたので契約が破棄された。ダ・ウ゛ィンチが未完成の肖像画に手を入れてルーブルに売ってしまった経緯がある。
ダ・ウ゛ィンチの他の仕事というのは。意外にも軍事兵器の制作やグライダー研究であった。彼が書き残した記録には絵画・彫刻の他、攻城兵器、霰弾砲、戦車、各種大砲、機関銃の製作に携わったとある。ダ・ウ゛ィンチは頭脳明晰で美的感覚に優れ、手先が器用であったのであろう。
「モナ・リザ」のなぞの微笑は人間「ダ・ウ゛ィン」をもっと知ってほしいという謎だと私は思う。人間を一面的に見るなという教えでもあろう。
▲NHKが2日間にわたり放送した田島道治宮内庁長官の「拝謁記」を2日遅れで毎日新聞が報道した(8月19日)。政治の前に人間天皇の意志が捻じ曲げられたのを知る。
私にも天皇「拝謁記」がある。」昭和18年12月9日昭和天皇は埼玉県朝霞にあった陸軍予科士官学校に行幸、在校中の58期生と59期生合計5000名を閲兵された。その朝我々は午前3時に起ききて入浴場で体を清めた。
同期生の1人は「すめろぎの 御馬前にあり すめろぎの 御馬前にあり われ死すとも」と心の中で唱えながら捧げ銃をする。私は「君の御楯と眉上げて 殉皇の意気胸底に」59期生会歌をとなえた。「われらを股肱とのたまいた」(陸士校歌)昭和天皇である。事あるごとに我々はこの校歌を歌う。
同期生荒木盛雄君は「敗戦忌股肱の臣の真の闇」と詠んだほどである。
このたった一日の「拝謁記」の結びとして私は「敗戦忌生恥さらす我が戦後」(悠々)を捧げる。
▲2・26事件の首謀者・北一輝、8月19日死刑執行される(昭和12年)。54歳であった。82年も前のことである。その著書「日本改造法案大綱」「支那革命外史」は当時革新将校の心を捉えた。
陸士本科在学中の45期の黒崎貞明候補生は「一読、先ず雄魂ななる筆力と革命への希薄にすっかり圧倒された」という(その著書「恋闕」より)。
黒崎さんは陸士卒業後中尉の時、2・26事件に連座するも嫌疑なしで釈放される〈昭和11年10月)。釈放される際、隣の房にいた北一輝から「当分の聞、戦争をしてはいけません。事に支那とはね。これは北の遺言です」と言われた。北の意志に反して黒崎さんが釈放されて1年も立たない昭和12年7月支那事変が勃発した。
北は「大丈夫5尺のむくろ にえとして割かるべく生きる 先ず目覚めて叫ぶもの 世は彼を獄門に晒す 」の感慨を残す。
戦後74年、平和になれ、自分の国を守る気概もなく安逸を貪る今の日本には北一輝のような思想家が必要なのかもしれない。
▲「生きること死ぬこと人生の常なるを反芻しつつ風をききおり」山本次能

『敗戦日富士樹海恨みあり』悠々

『間近なり三途の渡し秋の風」悠々

歌の世界は楽しい。様々な思いが去来する。
その思いが5・7・5でも5・7・5・7・7でまとまればなお良い 。

『羊山に朴の木の花高々と天に向かい頼もしきほど』宮前和子

こんな歌を読むと元気が出る。
私ももう少し元気が出る俳句を作らねばと思うきょうこのごろである。
▲敗戦記念日。
靖国神社に参拝する。同期生13人を始め先輩が祀られている。
あれから75年。生き恥を晒した。
我々の世代は敗戦の日どこにいたかでその人の人生が決まると言われた。ある程度あたっている。
私は西富士の演習場にいた。
「敗戦日富士の樹林そこにあり」悠々
大型の台風10号西日本に上陸。猛威を振るう。お盆休みに日本へ来なくてもと思うが気象の世界は別の論理で動いているようだ。海面の温度、水蒸気の量、偏西風の蛇行などなど・・・それとも気に食わない国に上陸する???
「台風10号気ままなれど論理有り」悠々
▲靖国神社が昨秋、当時の天皇陛下に2019年の神社創立150年に合わせたご親拝を求めるお願いを宮内庁に行い、断られたという。
靖国神社が天皇陛下の御親拝をお願いするのは一向に差し支えない。今後もすべきだと思う。
「靖国國神社の歌」(作詞・細淵国造・作曲・陸海軍楽隊)にはこのようにある。
「日の本の光に映えて
尽忠の雄魂まつる
宮柱 太く燦たり
嗚呼、大君ぬかずき給う
栄光の宮 靖国神社」(1番)
大東亜戦争で斃れ祀られている英霊は213万余柱である。
宮内庁が断った理由は明らかでないが東条英機大将ら7人のいわゆる「A級戦争犯罪人」が昭和53年秋から合祀されているからであろう。天皇陛下のご親拝は昭和50年11月21日が最後で今日に至っている。
昭和28年8月遺族援護法が改正され、旧敵国の軍事裁判によって有罪と判決された人々を日本国内法では罪人と見なさいと定められている。戦争犯罪人というのは旧敵国から見ての呼称である。日本から見れば「昭和殉難者」か「法務死」と呼ぶべきである。もともと靖国神社は犯罪者を祀ることを禁じている。戦後75年いまだに「昭和殉難者」を不当な扱いをするのはおかしい。
「物事は落ち着くべきところに落ち着く」という。いつの日にか天皇陛下の靖国神社ご親拝が実現するであろう。
「嗚呼、大君ぬかずき給う」と私は歌いたい。
▲大型の台風10号日本に上陸する。965ヘクトパスカルは大きい。
上陸すれば被害甚大である。要警戒である。
お盆休みに日本を直撃とは天の神もいたずらが度をすぎる。
俳句の世界では「台風」は秋の季語である。
それなのに夏にもう10号も台風が発生している。
今年から夏の季語になろう。
台風は海面からの熱や水蒸気の量を少し変えるだけで台風ができるらしい。
地球温暖化で海面の熱や水蒸気の量が台風を発生しやすくなっている。
今後台風の発生状況はますます多くなろう。
それなのに人類は地球温暖化の原因であるCO2を排出し続けている。
哀れというほかない。
▲「書に倦むや蜩鳴いて飯遅し」子規
読みたい本が4,5冊あるのに左目が不自由なので遅々として進まない。堤哲君が出した「国鉄・JRラグビー物語」(交通通信社刊)は知っている人物が登場して誠に面白い。まだ読み終えていない。
連れ合いは昨今食事を作りたくないという。女性は歳を取るとそうなるものらしい。またお互いに食も細くなった。
こちらは「飯遅し」の心境だが迷惑ばかりかけているので偉そうなことは言えない。
「書読み飽きて腹鳴くも我慢する」悠々
それにしてもこの夏は暑い・・・
XOOPS Cube PROJECT