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D3ブログ - 銀座一丁目ブログカテゴリのエントリ

▲治山治水は政治の要諦である。今の政治は目先ばかりを追っている。
九州北部の集中豪雨で川が氾濫、死者2名、避難指示86万人に及ぶ。
テレビで見ると住民の恐怖がよく分かる。
治山治水は日頃からコツコツと作業を進めなければならない。しんどい仕事である。
地球温暖化は確実に進む。日本が常に異常気象に巻き込まれるのは間違いない。
ここ50年間それなりの予算をつけねばならない。防災庁を作って力を入れる必要がある。
場当たり的な対応では被害がが大きくなる時期に来ていると思う。
▲長野県佐久市の望月歴史民俗資料館で企画展『陸軍士官学校の疎開』―川西地域での長期野営演習―が開かれている(9月1日まで)。3万2千年前まで遡ることができる佐久地域の歴史と文科を展示している民俗資料館が昭和20年の一時期,仮住まいした若者たちの生活記録を展示するのは極めて異例だと思う。28日数人の同期生と59期2世会のメンバーとともに見学する。此の地は59期生の歩兵科の士官候補生ら580名が昭和20年6月6日から復員する8月30日まで南御牧国民学校、春日国民学校、協和国民学校のそれぞれ移駐したところ。ここで現地戦術、教練などを行い、自活のための農作業もした。学校本部は望月女学校に置かれた。今回は北野憲造校長が使用された机、帽子掛、椅子をはじめ59期生の有志が提供した写真、出版した本、資料などが展示されている。チラシには入校時の59期生の霜田昭治君(歩兵・12中隊1区隊)が掲載されている。
陸軍士官学校は神奈川県座間(相武台)にあったが空襲が激しくなり昭和20年4月だけでも7回を数えた。長期演習という名目で高射兵、鉄道兵、船舶工兵を座間に残して主力は疎開した。なお権現山には南御牧村村長であった依田英房翁が立てた『遥拝跡』と59期生による『依田英房翁顕彰碑』がある。
▲富士山の頂上付近で26日午前7時ごろ主婦のロシア人女性(29)が落石で頭部を直撃を受け死亡した。
登山家の野口健さんはヘルメットの着用をすすめる。
富士山は昨年10月の台風で石積が崩れ崩落の危険があるという。
昨今登山ブームのほか日の出を見るため登山者が激増している。
御殿場口新五合目の27日の日の出は5時2分、28日は5時3分である。山頂はそれより4分早い。
登山は弁当と事故は自分持ちという言葉がある。
自分が注意を払うほかない。
▲日米貿易交渉は米ワシントンで茂木敏充経済再生担当相とライトハイザー通商代表の間で協議。農産物への関税引き下げを環太平洋連携協定(TPP)の水準に抑える一方、日本が求めていた自動車関税の撤廃は見送ることなどで大枠合意したという。
アメリカはなんのためにTPPを脱退したのかわからない。
トランプ大統領の一人芝居か。それにしては下手な一人芝居であった。
それとも日米間に密約があるのか?
米国は中国との貿易戦争をいかに処理するつもりか、この方が気がかりになってきた。
▲横浜の竹内文子市長、カジノを含む総合リゾート施設建設にふみきる。 博打は胴元が儲かると相場が決まっている。 たしかに業者は儲かるかもしれないが横浜市の入る収入はわずか。 庶民は損をするばかりである。
もっと知恵を出せ。
横浜は明治時代文明文化が入ってきたところ。至るところにその”遺跡”が残っている。それに味付けて整備すれば立派な観光資源になる。
世界中から観光客を呼び込める。
例えばピアノ。明治から大正にかけて横浜港がその玄関口となった。 音楽をもっと活用せよ。
みなと祭を横浜まつりに拡大して月ごとのテーマにまつりを開催する方法もある。 市・大学・商店街・中華街・工場・企業連携して輪を広げれば知恵は自ずと出てこよう。
カジノはやめたほうが賢明である
▲日韓関係は果たしない泥沼に落ち込んだ。
河野太郎外相と韓国の康京和外相の会談で24日に更新期限を迎える日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)について、延長すべきだとする日本側に対して韓国側は検討中と答えた。
政治用語では「検討中」は「やらない」ということだ。ところが「制限」をつけて延長するようだ。
制限をつけて困るのは韓国側。これまで友好的であった日韓防衛当局もしっくり行っていないから当分は慌てずこのままでいけばいい。
とは言っても在韓米軍がいる限り日、韓、米の緊密な軍事関係は保たねばならない。いつまでも制限付きのままというわけにはいかないだろう。
解決策はあるのか。泥水を流すにはきれいな水が必要だが水が出るまでに時間がかかる。
時を待つしかないということである。
無策は賢策に似たり・・・・。
▲パリ・ルーブル美術館のダ・ウ゛ィンチの傑作「モナ・リザ」(1503-1506)が盗まれた事がある(1911年8月21日)。2年以上も行方がわからなかった。犯人はなんと美術館のイタリア人職員であった。自宅アパートのトランクの下に隠しておいた。犯行の動機が面白い。母国イタリアに売ろうとして発覚した。なんとしても母国に里帰りさせたいという愛国心であった。もとを正せばイタリアの商人が若い妻のためにダ・ウ゛ィンチに頼んだもの。それを仕事にかまけてモデルの商人の妻をほったらかしにしたので契約が破棄された。ダ・ウ゛ィンチが未完成の肖像画に手を入れてルーブルに売ってしまった経緯がある。
ダ・ウ゛ィンチの他の仕事というのは。意外にも軍事兵器の制作やグライダー研究であった。彼が書き残した記録には絵画・彫刻の他、攻城兵器、霰弾砲、戦車、各種大砲、機関銃の製作に携わったとある。ダ・ウ゛ィンチは頭脳明晰で美的感覚に優れ、手先が器用であったのであろう。
「モナ・リザ」のなぞの微笑は人間「ダ・ウ゛ィン」をもっと知ってほしいという謎だと私は思う。人間を一面的に見るなという教えでもあろう。
▲NHKが2日間にわたり放送した田島道治宮内庁長官の「拝謁記」を2日遅れで毎日新聞が報道した(8月19日)。政治の前に人間天皇の意志が捻じ曲げられたのを知る。
私にも天皇「拝謁記」がある。」昭和18年12月9日昭和天皇は埼玉県朝霞にあった陸軍予科士官学校に行幸、在校中の58期生と59期生合計5000名を閲兵された。その朝我々は午前3時に起ききて入浴場で体を清めた。
同期生の1人は「すめろぎの 御馬前にあり すめろぎの 御馬前にあり われ死すとも」と心の中で唱えながら捧げ銃をする。私は「君の御楯と眉上げて 殉皇の意気胸底に」59期生会歌をとなえた。「われらを股肱とのたまいた」(陸士校歌)昭和天皇である。事あるごとに我々はこの校歌を歌う。
同期生荒木盛雄君は「敗戦忌股肱の臣の真の闇」と詠んだほどである。
このたった一日の「拝謁記」の結びとして私は「敗戦忌生恥さらす我が戦後」(悠々)を捧げる。
▲2・26事件の首謀者・北一輝、8月19日死刑執行される(昭和12年)。54歳であった。82年も前のことである。その著書「日本改造法案大綱」「支那革命外史」は当時革新将校の心を捉えた。
陸士本科在学中の45期の黒崎貞明候補生は「一読、先ず雄魂ななる筆力と革命への希薄にすっかり圧倒された」という(その著書「恋闕」より)。
黒崎さんは陸士卒業後中尉の時、2・26事件に連座するも嫌疑なしで釈放される〈昭和11年10月)。釈放される際、隣の房にいた北一輝から「当分の聞、戦争をしてはいけません。事に支那とはね。これは北の遺言です」と言われた。北の意志に反して黒崎さんが釈放されて1年も立たない昭和12年7月支那事変が勃発した。
北は「大丈夫5尺のむくろ にえとして割かるべく生きる 先ず目覚めて叫ぶもの 世は彼を獄門に晒す 」の感慨を残す。
戦後74年、平和になれ、自分の国を守る気概もなく安逸を貪る今の日本には北一輝のような思想家が必要なのかもしれない。
▲「生きること死ぬこと人生の常なるを反芻しつつ風をききおり」山本次能

『敗戦日富士樹海恨みあり』悠々

『間近なり三途の渡し秋の風」悠々

歌の世界は楽しい。様々な思いが去来する。
その思いが5・7・5でも5・7・5・7・7でまとまればなお良い 。

『羊山に朴の木の花高々と天に向かい頼もしきほど』宮前和子

こんな歌を読むと元気が出る。
私ももう少し元気が出る俳句を作らねばと思うきょうこのごろである。
XOOPS Cube PROJECT