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D3ブログ - 銀座一丁目ブログカテゴリのエントリ

▲『時を待ち人待つことのかすかなる風にうなずく山吹の花』鳥海昭子
平山郁夫画伯のお弟子さんという手塚雄二展を見にゆく(日本橋高島屋)。
見に行こうと思いつつ展覧会最終日になってしまった。
昨今はずぼらになった。ものぐさである。
平山さんは好きな画伯であった。その色使いがなんとも言えなかった。人柄をそのまま表しているかのようであった。
ともあれ絵画は心に響けば良い。
▲春の日差しに誘われて府中の森公園に出かける(3月15日)。公園の入口付近に意外と一本の木に桜が咲いていた。よく見れば付近にもう一本にも咲いていた。東京地方の桜の開花予想は3月20日頃と聞いていた。5日も早い。携帯電話で写真をとる。
『しき嶋のやまとごころを人とはば朝日ににほふ山さくら』と本居宣長は歌った。宣長が還暦を迎えた寛政2年(1790年)、自画自賛の肖像を作った。その賛に書いたものである。桜は文句なく日本人に合う。だが朱子学を勧め異学を禁じたこの年、『大和心』を持ちだした宣長に非難の声があがる。宣長は『かしこく、物をひいまはす』輩対して沈黙に耐えることを学ぶ知恵を教えた。『才』に「やまと魂」で答えたのだ。真淵は『やまと魂』を万葉歌人に読まれた『丈夫の、ををしく強く、高く直き、こころ』という意味に解した(小林秀雄著『本居宣長』・新潮社刊)。
万葉人は歌う。
『梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや(巻5―829)
(烏梅能波奈 佐企弓知理奈婆 佐久良婆那 都伎弓佐久倍久 奈利尓弓阿良受也)
『春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにあるらむ』(巻8-1440)
(春雨の 敷布零尓 高円 山能桜者 如何有良武 )
万葉集には桜を読んだ歌が42首ある。古代は山桜であった。それから育成された園芸種が300を超える。
桜に心酔した紀貫之はこう歌った。
『桜よりまされる花なき春なればあだし草木をものとや見る』
現代人のわれはつぶやく。
『さくら咲く昔なつかし学び舎の若き人々汗流しけり』悠々
▲日差しはすでに春である。間もなく甲子園で選抜高校野球が始まる。「春は選抜から」という言葉もある。猫が恥らなく恋をはじめた。
万葉人は詠う。
『岩ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも』(幹―1418)
(石激 垂見之上乃 左和良妣ノ毛要出春尓 成来鴨)
久しぶりに散歩する。歩数計は3820歩を示す。小学校の下校時と見えて子どもたちの元気な声を聞く。
『書倦みて春陽浴びれば子供の声す』悠々
▲子供を有名大学に入学させたいという親の気持ちは何処の国の親も変わらないようだ。
この世界はやはり「学歴」が物を言う社会か。
米連邦地検は12日、西部カリフォルニア州の進学カウンセリング会社経営者を組織的不正行為などの罪で起訴した。経営者に依頼した保護者や協力した大学関係者など約50人も刑事訴追された。エール大やスタンフォード大など米一流大への「裏口入学」にからむものであった。
 受け取った謝礼金は2011年以降2500万ドル(約27億8000億円)にのぼる。訴追された保護者は33人。有名弁護士や実業家のほか、米人気ドラマに出演した女優も含まれるという。
悪事はいつかはばれる。社会に出れば実力のないものは脱落する。機転・商才・才覚・人柄は出身大学とは無縁である。その事がわかりながら人の親は子供を有名大学に入学させたがる。人間はいつまでたっても愚かな動物である。
 
▲3月13日は「啄木忌」
歌のうまい後輩の一人が中学生時代に啄木の詩集を全部暗記したという。言葉は耳から入ったものが一番いい。目から入ったものはあまり良くない。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」
「友がみな我より偉く見ゆ日夜花を買ひ来て妻と親しむ」
石川啄木は明治45年(1912年)東京小石川で死去、享年26歳であった。墓は北海道函館市立待岬の共同墓地にある。妻セツ子(大正2年5月5日死去)もここに眠る。
啄木の盛岡中学の上級同窓には米内光政(海軍大将。首相)及川古志郎(海軍大将)などがいた関係で一時軍人を夢見たという。新聞にも関係している。その歌は切なく暗い。
「なんとなく明日はよき事あるごとく 思う心を しかりて眠る」

「この浮世左程変わらじ啄木忌」悠々
▲マザーテレサ格言集より。
Life is an adventure, dare it.(人生とは冒険です。それを思い切ってやってください)
取材ではしばしば怖い思いをした。戦犯を載せた帰国船に船首にある取っ手を伝わって乗り込んだこともある。台風で孤立した村へ濁流を泳いで渡ったこともある。冒険ではなくて取材であった。
Life is life, fight for it (人生とは生きることです。戦いぬいてください)
『常在戦場』戦後74年、平和になれた日本人が忘れてしまった大事な心構えである。災害が多発する昨今この心構えが必要である。作戦要務令は『軍の主とするところは戦闘なり。故に百事戦闘を持って基準とすべし』といっている。
生きるということは戦うことである。体を鍛え勉学に励み、心を磨きよりよい社会を作ることだと思う。
▲東日本大震災が起きて11日で8年目である。東京地方は夜来の雨であった。その雨音を震災でなくなった人々の慟哭と受け取った。生き残った人たちの心の傷いまだ癒えない。復興遅々として進まず仮設住宅ぐらしを余儀なくされている。東北の春は遅い。
月刊誌『文芸春秋』4月特別号で「平成31年を作った31人」という特集を掲載した。スポーツ選手7人、政治家6人。経営者4人。タレント3人などとなっている。この特集に欠落しているのは『己を省みず国のため人のために尽くす人』の視点である。警察・消防・自衛隊から選ばれなかったのに首を傾げる。戦後74年、のどかなのんびりした平和な日本の姿がそのまま映し出されているとしか思えない。特集の前文には『大きな災害やIT技術などの進化で激動の31年だったが、やはり時代を動かしたのは人間だった。彼らは何故平成の寵児となったのか』とある。寵児の意味が違うかもしれないが『誰か一人忘れちゃおりませんか』と言いたくなる。
平成23年3月11日起きた東日本大震災の際『最後の砦』となって住民の救助、遺体捜索。給水。特設入浴場など獅子奮迅の活動したのは自衛隊であった。その長は自衛隊東北方面総監君塚栄治陸将(平成28年12月死去・享年63歳)であった。震災時、統合任務部隊の指揮官として10万7000人の部下を指揮した。
 私は君塚栄冶自衛隊東北方面総監(陸将・防大20期・58歳)の話を聞いた。平成23年7月4日、東京内幸町・日本記者クラブであった。この話の中で私が一番印象に残ったのは「自衛隊が最後の砦」であったということである。通信、燃料、移動手段に至るまで自己完結の唯一の組織であったという指摘である。東北地方各地の駐屯地や基地が、ほかの行政機関に対する支援拠点の役割を果たした。備蓄したガソリン・燃料をパトカー、消防車、自治体に分けた。その量はドラム缶6000本に達した。給水3万2985トン、給食、10ケ所、471万5453食、入浴、21ヶ所97万293人に及んだ。ここで忘れていけないのは自衛隊を除いた公共機関が『常に最悪の事態に備える』心構えが欠如している点だ。自衛隊でも被害を出している。家族が被災した隊員数374人、死亡者344人、負傷者5人、安否不明者12人に上る。君塚陸将は三陸沖地震が99%起きるとみて関係県との防災訓練を実施してきた。『常在戦場』で必要な緊急物資を蓄えてきた。10万人動員を指示されても応じることができた。このようの心構えが県,市町村、警察、消防にあればもう少し迅速な救援対策がとれたであろう。何故編集者は君塚陸将を頂点とする自衛隊の活動に注目しなかったのか私にはわからない。戦後74年平和に慣れた日本人は戦うことを忘れて逃げることしか考えていないからだと思う。今回の大震災は地震より津波の被害が大きく、その被害も広域で甚大であった。地方自治体の機能の喪失という事態も加わりさらに原発事故も重なった。よけに組織のあり方とその能力が鋭く問われた。それに十分に答えたのは日ごろから国民からも政治からも冷遇されてきた自衛隊であった。その自衛隊がどのような実績を残したのか、記憶にとどめておく必要がある。人命救助、1万9286人、遺体収容、9500人(死者1万5511人の61%にあたる)医療支援、2万3370人(平成23年7月1日現在)に及ぶ。日米共同の支援救援作戦もうまくいった。真っ先に駆けつけたのは米軍であった。普天間にいる海兵隊、原子力空母「ロナルド・レーガン」が東北に派遣された。出動した航空機140機,艦艇15隻その規模2万人である。その中でのヒットは仙台空港の復旧作業であった。米軍は楽しげに滑走路上の泥の排出をやってのけた。日ごろ必要ないと思われたものが有事に立派に活躍する。日本人はこのことを忘れてはなるまい。米軍の沖縄の基地は有事の際に役に立つ。沖縄県民もこの事実を忘れないでほしい。
質問に答えて君塚陸将は「防衛大臣と毎日やりとりをし、報告や指示を受けた。菅総理も激励と指示を受けた。今回ほど政治との距離が身近に感じたことはなかった」と述べたがそれと同じように国民との距離も短くなったはずである。テント生活で支援活動を続ける自衛隊に住民たちが新鮮な野菜や取れたての卵を持ってその労に報いた話をあちこちで聞く。
私は講演が終わって君塚陸将に平成23年4月27日に行われた天皇陛下との会食について質問した。「日付は手帳を見ないと分からいが1時間ほど会食をしました。内容についてあまりしゃべらないでと口止めされている」と答えるにとどまった。陛下が自衛隊の幹部と会食するのは極めて異例な出来事である。それだけ今回の自衛隊の活躍が際立っていた。ここに平成時代を作った一人として追加する。

 
▲『れんげ草我も一度は子供なり』子規
れんげ草はゲンゲといい、中国原産。徳川時代に渡来。花言葉は「私の苦痛を和らげる」
▲昭和20年3月10日は東京大空襲の日である。死者10万人、負傷者11万人、家屋焼失失100万余戸、その後も空襲があり戦災社310万人に及ぶ。爆撃機B29は高度1万米を574キロの時速で飛んだのに日本の戦闘機は時速550キロだったと言うから米国の技術開発力はすごいものであった。当時私は岐阜の歩兵連隊に隊付中であった。隊付が終わって相武台に帰校する際に列車の中から東京の焼け跡を見た。
▲戦前、3月10日は『陸軍記念日』。昭和19年の3月10日は陸軍予科士官学校に在学中。日記によれば「午前4時に起床。払暁線を展開する」とある。
今年は午前7時50分に起床。思いついて「銀座一丁目新聞」の茶説の草稿を書く。
『れんげ草我らはいまは平和なり』悠々
▲雨の中日本アイスランド協会の総会・懇親会に出席した(3月7日。東京新宿グランベルホテル)。来年30週年を向かえる協会とあって懇親会は賑わった。現在理事役員は64名、法人会員34社、個人会員111名である。就任2年の安野清会長は「今後とも友好親善の実を図り会員同士の親睦に意を尽くしたい」と挨拶した。事業報告、決算報告などがあって総会を終えた。理事で日本子守唄協会理事長の西館好子さんが講演をした。「アイスランドのヴィクディス大統領は女性の地位向上など女性問題、教育問題、環境問題に力をつくした。子供の生育に有害な添加物を一切認めていない。学ぶところが多い国だ」と女性大統領との交流を通じての貴重な体験談を話した(ヴィクディス大統領は来日時、西館さんが主宰するみなと座の『糸女』を観劇)。
懇親会では久しぶりに武蔵野興業の社長河野義勝さんと夫人で同社の常務優子さん(二人共協会の理事)に会う、武蔵野興業の創立は大正9年5月。来年は100年周年である。『ぜひ武蔵野館を使ってアイスランドとのイベンをしたい』と張り切っていた。
会が始まる前ホテルのロビーで創立者のひとり佐藤充雄さんと雑談した。『あなたのこれからは女性の時代ですよの一言が私をアイスランドに目をむかさしてくれたんですよ』という。私はそんな事すっかり忘れていたが佐藤さんのその言葉を嬉しくうけとった。
▲『心の乱れ』が服装に現れる。天下にその醜を晒した。変装して海外のマスコミの目をごまかせると思ったのか。『作業姿』が新聞・テレビに載るなら背広姿でよかった。
あなたの人生はごまかしの人生であったのか。
これでは裁判には勝てないだろう。
日産のカルロス・ゴーン元会長(64)は、6日午後、作業服に帽子・マスクという変装した姿で出所、内外の報道カメラを欺こうとして失敗した。保釈金10億円払った人の所業とはとうてい思えない。私には見苦しく映った。
ゴーンさんは倒産寸前の日産に堂々と立ち向かったように降りかかってきた試練を男らしく立ち向かえば良いではないか。それが紳士というものだ。何故変装するのか。私に言わせればやましさが変装となったとも言える。
本人が言う通リに心にやましくなければ背広姿で堂々と出所するのが普通であろう。
私なら普通に背広姿で出所する。記者会見をせずに「ノーコメント」で通す。
XOOPS Cube PROJECT