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D3ブログ - 最新エントリー

▼秋の一日、劇団「ふるキャラ」の演出家・ひらつか順子さんと一緒に荒川区に事務所を持つ音楽家・演出家の寺本建雄さんの案内で荒川の回向院(荒川区南千住五丁目33番13号)を訪れた(10月18日)。 江戸時代には、このあたりは小塚原といわれ、処刑場があった。 寛文7年(1667)に本所の回向院が、牢死者や刑死者等を供養するために、この地に回向院を開創した。この日私たちのほか参詣者はいなかった。此処には安政の大獄で獄死した吉田松陰や橋本左内らの墓所。 高橋おでんの墓。2・26事件で刑死した磯部浅一とその妻登美子の墓などがあった。静かに手を合わせる。中には削り取られた墓があった。寺本さんの説明では“ばくち”打の親分の墓で「墓石が運を呼ぶ」というので削ってゆくものがいるという。だか真新しい削り痕はなかった。
本堂入口右手に「観臓記念碑」がある。 杉田玄白や前野良沢らがここで刑死者の腑分けに立会い、「解体新書」を翻訳したのを記念したものである。
近くの延命寺境内(南千住二丁目34番5号)には、無縁となった人々を供養するために建てられた首切地蔵もあった。
▼役所も民間も改ざんばやりである。
日本人は嘘つきになった。
地震の揺れを抑ええる免震と制振装置の性能検査ダーターを改ざんしていたというのだ。
会社の名前はKYB(東京都港区)。
KIYOTUKEYO・YABAIKOTO・BAKARISITEIRU会社の略。
件数986件に上る。
無責任政府が長年居座れば下これに習う・・・
▼愛知県小牧市の住宅の屋根に隕石が落下した(9月26日午後10時半ごろ)。放射線測定によれば約46億年間にできた隕石で鉄やニッケルを含む。隕石は大きな流星の燃え残りである。
宮沢賢治は「星めぐりの歌」を作る。
「アンドロメダの くもは
 さかなのくちの かたち
大くまのあしを きたに
五つのばした ところ
小熊のひたひの うえは
そらめぐりの めあて」
流れ星は宇宙の花である。国内での隕石の発見は52番目。隕石が落下とほぼ同時期に回収されるのは世界で年間10件程度で珍しいという。
本体は隣家で見つかったもので、縦約10・5センチ、横約8・5センチ、厚さ約4・5センチ、重さ約550グラム。宇宙はあくまでも神秘だ。
▼昨今はスーパーで買い物をするので店員との応接はない。専らレジ店員である。
この事例は例外かもしれない。
健康のために朝コーヒー入れて飲んでいる米ぬかを切らしてしまった。行きつけのコメ店が休みであったので近くの個人商店に買いに行った。
「米ぬかありませんか」
「ありません」中年の男性店主がぶっすとして椅子に座ったまま答える。
まことに無愛想である。取りつくしまがない。
米ぬかは20銭ぐらい。安い客と観られたのかもしれない。
お客が来たら起ち上がって「いらっしゃいませ」というのが礼儀であろう(心の中で・・・)。(いらぬ心配だがこのような店にはお客は来ないであろう・・・)。
それともたまたま奥さんに代わって御主人が臨時の留守番をしていたのであろうか。
百貨店が軒並みに撤退を余儀なくされ、駅前商店街もシャッタ―を下さざるを得ない時代.接客態度などというものは「買う人」「売る人」すべて平等・・・”個人平等”の前に消えてしまったのだろう。
▼安倍総理大臣は自衛隊の朝霞駐屯地で行われた観閲式で訓示した。
その中で「今や国民の9割が敬意をもって自衛隊を認めている。次は政治がその役割をしっかり果たしていかなければならない」と自衛隊の存在を明記する憲法改正に強い意欲をしめした。
 観閲式には防大生など陸上自衛隊、海上自衛隊4000人による分列行進、各種車両260台、各基地から飛び立った航空機40機などが色どりを添えた。
自衛隊の堂々たる威容に両側のスタンドを埋めた満員の観客から大きな拍手が起きた。
▼サウジアラビアの反体制派ジャーナリスト(59)トルコ・イスタンプールのサウジ領事館で殺害される。
米紙はサウジ王室の関与を報道する。
ジャーナリストの婚約者はトランプ夫妻に支援を求める。
「新聞は剣なり」痛いところを指摘されると、権力者は報復する。
ジャーナリストは常に死を覚悟して報道せねばならぬ。
日本のジャーナリストにその覚悟ありやなしや・・・
▼盛土・地下水・土壌汚染など物議を起こした豊洲市場が店開きした。敷地面積は築地市場の2倍の40Kヘクタール。引っ越し荷物2トン車で5300台分という。これまでよりは清潔度がアップ、空調も完備。業者から「食の安全という面で格段の進歩」という。
駐車場不足・アクセス問題・渋滞懸念不安もある。それを解決してゆくのが人間の知恵だ。
▼毎日新聞社会部OBゴルフ会に参加する(10月10日・東京・若洲リンクスゴルフ場)。参加人員13人。平均年齢79.3歳。ベストグロスが94(2人いた).もっと多いグロスが137であった。
楽しいのがプレー後の懇親会だ。皆、飾らずに率直に話すから日常生活が垣間見えて面白い。
ともかくくだらない話が体に良いのだと思う。なお私の成績は106(IN.OUTともに53)であった。ハンデに恵まれて優勝した。
▼毎日新聞夕刊(10月9日)が2面全面つぶして沖縄戦で自決した32軍司令官牛島満大将(陸士20期)の孫・牛島貞満さん(65歳・元小学校教諭)が沖縄戦を語り「9条改憲の動きに懸念」「軍隊は住民を守らない」と語っている。その中で、住民に多くの犠牲者を出す結果となった司令部の「南部撤退」と、たとへ一兵となっても戦うことを強要した「最後まで敢闘」という二つの非情な命令を何故祖父が出したのか―という牛島さんの最大の疑問の答えを牛島軍司令官の辞世にあるとみたと記述されている。
この辞世は有名である。「秋待たで 枯れ行く島の青草は 皇国の春に甦らなむ」
この辞世の解釈を「秋を待たずに枯れてしまう沖縄島の若者たちの命は春になれば天皇中心の国に甦るだろう」とする。
どうであろう。少し偏見のような気がする。祖父の気持ちを理解していないように見受けられる。折口信夫は「皇国の春に甦らなむ」に注目する。「・・・・よみがへりなむ」とはない。「来るべき御代の盛りには、今この島に朽ちゆくわが身の志も継承せられ栄えて行くであろう」という意味ではない。「よみがへらなむ」とある以上は「よみがってくれ」「よみがへってくれるように…」という義である。わが身の志を継承して行くもののあることを祈っているということになると解釈する(桶谷秀昭著「昭和精神史・戦後編・文春文庫」)。
私も同感である。牛島大将は昭和19年8月8日陸軍士官学校校長から第32軍司令官として沖縄に赴任された(記事では東京からの赴任とあるが正しくは神奈川県座間から赴任。夫人と一緒に座間の将校官舎に居住)。私が陸士に入校したのが昭和19年10月14日であった。前任の校長であるので特に関心が深い。戦後アメリカの雑誌が第二次大戦の日本の名将を2名挙げた。一人が硫黄島で自決された栗林忠道大将(陸士26期)。もう一人が牛島大将である。昭和19年6月23日午前4時30分摩文仁の丘で参謀長・長勇中将(陸士28期)とともに自決された。
最期の訓示が「沖縄は命運を決すべき決戦会戦場となろう」であった。東京大空襲(昭和20年3月10日)の例を出すまでもなく戦争は国民を守れないのではなく巻きこんでしまう。多くの犠牲者が出る。「旧日本軍は国民を守らなかったというのが沖縄戦の教訓です」と牛島貞満さんはいうがあなたの身内(おそらく父親は陸士58期生と記憶くしているが・・・)はどう答えるでしょうか。
▼友人から7,8年前頂いた月下美人が2,3日前から花を6つも咲かせた。
夜10時頃は見事だ、白い大輪の花である。
夜だけ咲くとはまことに惜しい。誰が名づけし「月下美人」。
手入れはあまりしていない。時折水をやる程度である。
台風24号と25号の際は吹き飛ばされてはいけないと、玄関の中に入れた。
「大いなる花開きたりしづしづと輝く天女いますごと」
「世話なしに台風一過花開く」悠々
▼知人夫妻と一緒に自衛隊朝霞駐屯地で実行本部統一訓練を見る(10月4日)。10月14日に行われる観閲式の予行演習である。地域住民と隊員の家族たちを招待したものである。知人の一人娘が2等海佐というので私も誘われた。戦前ここで1年半学び、訓練した思い出の地である。
防大学生隊、高等工科学生隊、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊などの分列行進があった。私の時代背嚢をつけた。女性隊員が目立った。戦車、水陸両用車などなど…空ではヘリ、偵察機、戦闘機などが色どりを添えた。
配置された自衛隊員は言葉遣いも丁寧で皆親切であった。若い隊員に声を掛けた。年は21歳、入隊して3年たつ。「昔此処で学んだ」というと「当時はどうでしか」という。「苦しかった思い出ばかりだ。だが懐かしい」と答えた。「頑張れよ」と言い添えた。本日の観閲官は自衛隊東部方面総監高田克樹陸将(防大29期)が挨拶の中で「時に街で自衛隊員を見かけたら“がんばれよ”の声をかけていただければ励みになるでしょう」といっていた。
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