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D3ブログ - makiuchiさんのエントリ

▼コーヒーを一日5・6杯飲む。現役のころは10杯を超えた。もちろん砂糖を入れない。お酒は全くだめだ。朝の一杯目のコーヒーには、中に米ヌカとココナツオイルを少し入れる。私の唯一の健康法である。
江戸時代からコーヒーは薬の効用があると珍重された。カフェインは脳の働きを活性化する。血流向上・体脂肪の燃焼促進などに効果もある。タンニンにはコレステロール値や血圧上昇の抑制作用,抗菌作用などがあるとされている。
毎日新聞社会部に昭和23年6月に入社した仲間10人は2011年5月に亡くなった高橋久勝君を最後に全員あの世に行ってしまった。大のコーヒー党の私だけが生き残った。高橋君は左党らしく「冥途ゆく吾を肴に古酒を酌め」の辞世の句を残す。
「木枯らしや我可否党生き残る」悠々
コーヒーが発売されるようになったのは明治6年、横浜で発売された。コーヒーの木が日本で植えられたのは小笠原島(明治11年7月)。現在日本各地でコーヒーの木が栽培されているが出荷額の一番多いのは兵庫県で544億3500万円である。可否茶館が上野デオープーンするのが明治21年4月である。その後デパートの食堂でも用意され、コーヒーの値段は5銭であった(明治40年4月)。コーヒーを飲ませる喫茶店が流行したのは昭和10年頃。東京には喫茶店の総数が約一万5千、純喫茶と言われる店が3千、そこで働く女性が5万人いたという。昨今はこのような美味しいコーヒーを飲ませる店が少なくなった。万事が手軽なナインスタントコーヒーである。
「客観のコーヒー主観の新酒哉」寺田寅彦
▼万葉集に子を思う歌がある。
「銀も黄金も玉も何せむ勝れる宝子に及かめやも」(巻5-803)
「銀母 金母玉母奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母」
少子化の時代、いじめが多発する昨今、親は子供お名前をどう付けるのだろうか。
男の子であれば「毅」「彊」「強」「剛」…女の子であれば「康子」「竹子」「和子」「幸子」・・・と思うのはどうも浮世離れをしているようだ。
今年子供の名で一番多かったのは男子が「蓮」女子が「結月」であった。
私の名前は「節男」。大正時代の天長節(大正14年8月31日)に生まれたから「節男」とつけられた。
子供の名は健やかに育ってほしいという願いを込めて男の子は「達夫」女の子は愛情が泉のようにはふれ出るようにと「いずみ」とつけた。
名は体を表すという。子供の将来を考えたらもっと慎重に選んだらよいと思うことしきりである。
▼横綱審議員会は横綱稀勢の里に「激励」の勧告をした。
「激励」とは「しっかりやれと励ますこと」である。横審も”粋なこと”をするなと感心したらそうではなかった。
横審の言う「激励」は最後通告。「初場所の成績が悪ければ引退してください」という意味だという。
初場所は来年1月13日から始まる。すでに年齢32歳。相撲の世界では若いとは言えない。原点に戻り、まず心を鍛え、基礎稽古に励むのが何よりだ。
いま稀勢の里に欠けているのは「必勝の信念」だ。相撲に気迫が見られない。自分で苦労して身につけるほかない。復活を待つフアンは多い。
▼大相撲九州場所で小結・貴景勝(22)13勝2敗で初優勝する。来場所11勝すれば大関になる可能性が出てきた。「努力と根性」の賜物という。厳しく育てた父親の存在も見逃せない。「若い力」の台頭がすばらしい。
▼台湾の22の市長選挙の結果与党・民進党6、野党国民党15、無所属1となる。中国寄りの野党国民党の勢いは次第に大きくなりつつある。「寄らば大樹の影」か。「長い物には巻かれよ」か。
▼渋谷区の小学生が”渋谷“を歌い踊るミュージカル「SHIBUYAぐるっとぐるぐる」を見る(11月25日渋谷区さくらホール)大人は脇役でわずか5人。後は小学生2年生から6年生まで61人。挨拶から舞進行まですべてこともたちがマイクを持って担当した。稽古日はたった11日しかなかったそうだがみんな元気よく楽しく舞台をつくった。渋谷区の未来は明るい。
▼23日は新嘗祭。この日宮中神嘉殿で「夕の儀」(午後6時から2時間)と「暁の儀」(午前11時から2時間)が行われる。
天皇陛下は湯で身を清め白の絹でできた「御祭服」に身を包み神前に新穀などを備える。祝詞を讀み自らも食べることによって五穀豊穣に感謝し、国の安寧を祈る。そばには皇太子さまが控える(毎日新聞11月22日)。
五穀とは稲・麦・アワ・キビ・豆をいう。
宮中祭儀のうち神代から続いているものの中で新嘗祭は最も古い。文正元年(1466年)御土御門天皇が御即位の大嘗会を行ってから新嘗祭は長い間中断されていたが元文5年(1740年)桜町天皇の時に再興された。この祭儀は古来11月下旬卯の日に行われていたが明治6年(1873年)から11月23日を新嘗祭と決まった(入江相政編「宮中歳時記」・TBSブルタニカ刊)。
▼庭の蜜柑を息子に採ってもらう(11月22日)。何年か前に脚立から落ちて腰を痛めてから息子に頼むことにした。今年は台風と強風でたくさんの蜜柑が大きくなる前に落ちて色つやも悪く、形も小さく出来があまりよくない。正月に来る曾孫がみかん狩りの真似事をさせるため低いところにある蜜柑を8つ残す。それでもとれた蜜柑は200個を超え、ダンボールで4箱にもなった。食べて見たら意外と甘かった。悪条件にめげず育った蜜柑だけのことはある。
▼「何処までつづくぬかるみよ」。先に韓国最高裁が日本企業に元徴用工の賠償を命ずる判決を下したのに続いて韓国は慰安婦財団解散発表する。設立3年間ですでに元慰安婦34人と遺族58人に合計4億2200万円が支給されている。3年前の日韓合意は「問題の最終的不可逆的な解決」であった。それを破棄すれば国と国の約束はできない。日本だけでなく他国からも信用されなくなるだろう。
満州育ちの私は小学生の頃、金という成績の良い元気な友達がいた。分け隔てなくつきあった。陸士時代にも朝鮮から来た同期生がいたが、いずれも優秀であった。韓国が訳の分からない国とは思わない。むしろ優秀な民族だと思う。一時の迷いだと考えたい。いずれ時間が来れば解決するであろう。隣国に位置する韓国との付き合いは時には喧嘩をしても仲良く付き合っていかなければならない。今は我慢の時期である。
▼『明日「木枯らし第一号」が吹く』と気象予報士が言っていた(11月20日夜)。
「凩によく聞けば千々の響き哉」子規
ともかく寒くなった。21日朝、なかなか布団から出られなかった。起床7時35分。
木枯らしとは「西高東低の気圧配置になって10メートル以上の強い北西風が吹き、翌日の日中の気温が前日より2から3度以上低くなった場合を言う」ようだ(倉嶋厚著「お茶の間歳時記」・文化出版局刊・昭和50年3月20日発行)木枯らし第一号の平均日は11月8日とある。この本が出てから43年、木枯らし第一号は2週間も遅くなっている。そう言えば帯広は19日初雪を記録した。平年より12日遅く、統計開始以来5番目に遅い記録だそうだ。これも気候温暖化が原因であろう。
加藤楸邨は「凩やかぎり知られぬ星の数」と詠んだ。
現代の俳人はそのような悠長なことを言っておれない。昨今の頻発する台風・豪雨の被害が浮かぶ。
「木枯らしや計り知れない山崩れ」悠々
▼『巨星地に墜ちる』
こんな歌がある。
「あわれ昨日は人の上
今日は我が身にかかりきて
同じ営倉のわび住まい
思えば悲しきわが身かな」(英雄の末路)

またこんな感慨も持つ。人間は引き際が大切である。幾多の功績をあげたとしても終わりに躓けば奈落の底に落ちる。それが人間の業かもしれない。
東京地検特捜部が日産自動車の立て直しの救世主・カルロス・ゴーン会長(64)を有価証券報告書の虚偽記載の疑い逮捕の報に接して・・・・。
▼「太平洋波高し」米中の対立は激しい。
パブニューギニアで開かれていたアジア太平洋経済協力会議(APEC)で通商政策をめぐり米国と中国が対立、閉幕時に発表する「首脳宣言」を断念する事態となった。1993年APEC発足以来の出来事。「もし米中戦わば」という本もあったのを思い出した。今月下旬にアルゼンンで予定されている米中首脳会談も激しい論戦が繰り返されるのだろうか。口で言い合う間は良いが・・・・
▼日曜日のひと時、ふと渡部英喜著「漢詩歳時記」(新潮社刊)を手に取る。「春宵一刻値千金」の漢詩に目がゆく。北宋の詩人蘇軾(1036年―1101年)の「春夜」の七言絶句である。
「春の宵」朦朧たる感じである.誰もが好感を持つ時間帯であろう。手もとの「歳時記」には「月の光.燈火の影すべてが艶めかしい連想をともなう」とある。
「父を呼ぶコーヒーの時間春の宵」小山白楢の句が私にはぴったりだ。
謡「田村」には「春宵一刻値千金、花に清香月にかげ」と引用されている。「田村」は征夷大将軍坂上田村麻呂が鈴鹿山の鬼神を退治する時の謡である。
宝井其角は「夏の月蚊を疵にして五百両」と詠む。その其角が「謡は俳諧の『源氏物語』だ』と言っているから面白い。
この一句「春宵一刻値千金」を女性との抱擁の陶酔恍惚状態に比し、さらに音楽の中に求めたのは評論家の加藤周一氏であった。すごい感性である。
蘇軾の詩はこの後このように続く。
「花有清香月有陰
 歌管楼台声細細
 鞦韆院落夜沈沈」
▼戦後73年。恩讐を超えて日ソ平和条約は早く締結すべきだと思う。問題は北方4島の返還問題。「戦争で取られたものは戦争で取り返すもの」と言われている。安倍晋三首相がロシアのプーチン大統領とのシンガポール会談で「平和条約締結後に歯舞、色丹両島を日本に引き渡す」と明記した日ソ共同宣言(1956年10月19日締結)を基礎に平和条約交渉を加速することで合意したという。
原点に返るのは悪い事ではない。
会談後の記者会見で安倍首相は「戦後残された課題を先送りすることなく必ず終止符を打つという強い意志を完全に共有した」と語った。安倍首相の意欲を買うが前途はけして平たんではない。
日ソ共同宣言は日本語、ロシア語をともに正文と定められている。その第9項には「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」とある。
此処には国後、択捉は明記されていない。しかも「返還」でなく「現実に引き渡される」とある。プーチン大統領が記者会見で「どのような基準が設けられてどちらの主権になるかが記されていない」と述べたのは当然である。「現実に引き渡される」とは具体的に何を意味するのか良くわからない。「現実に」という言葉は外交上何を意味するのか。すんなり北方領土を引き渡すとは考えられないのだ。日本側の考え方は歯舞、色丹の返還に道筋をつけた後、国後、択捉の帰属問題を解決させることであろうがそう簡単なものではない。さらに歯舞、色丹が日本に引き渡された後の両島の米国とのかかわり方である。昨年12月の日ソ首脳会議でプーチン大統領は日米安保条約第5条を根拠に、米軍がこれらの島に展開することをロシアの安全保障上の懸念を示唆した。これにも明確な答えを出さねばならない。
正直言って日本とロシアの国益が絡む。日本は「返してほしい」ロシアは「返したくない」がそれぞれの本音である。事実、戦後73年を経過、島にはロシア国民が住んで生活をしている。2年前から始めた北方領土での共同経済活動もうまく機能していない。首脳同士仲がよいといってもこと外交問題である。下手な妥協は出来ない。だから先送りしてきた。
安倍晋三首相に良い知恵があるとも思えないが・・・
XOOPS Cube PROJECT