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D3ブログ - makiuchiさんのエントリ

▲東日本大震災が起きて11日で8年目である。東京地方は夜来の雨であった。その雨音を震災でなくなった人々の慟哭と受け取った。生き残った人たちの心の傷いまだ癒えない。復興遅々として進まず仮設住宅ぐらしを余儀なくされている。東北の春は遅い。
月刊誌『文芸春秋』4月特別号で「平成31年を作った31人」という特集を掲載した。スポーツ選手7人、政治家6人。経営者4人。タレント3人などとなっている。この特集に欠落しているのは『己を省みず国のため人のために尽くす人』の視点である。警察・消防・自衛隊から選ばれなかったのに首を傾げる。戦後74年、のどかなのんびりした平和な日本の姿がそのまま映し出されているとしか思えない。特集の前文には『大きな災害やIT技術などの進化で激動の31年だったが、やはり時代を動かしたのは人間だった。彼らは何故平成の寵児となったのか』とある。寵児の意味が違うかもしれないが『誰か一人忘れちゃおりませんか』と言いたくなる。
平成23年3月11日起きた東日本大震災の際『最後の砦』となって住民の救助、遺体捜索。給水。特設入浴場など獅子奮迅の活動したのは自衛隊であった。その長は自衛隊東北方面総監君塚栄治陸将(平成28年12月死去・享年63歳)であった。震災時、統合任務部隊の指揮官として10万7000人の部下を指揮した。
 私は君塚栄冶自衛隊東北方面総監(陸将・防大20期・58歳)の話を聞いた。平成23年7月4日、東京内幸町・日本記者クラブであった。この話の中で私が一番印象に残ったのは「自衛隊が最後の砦」であったということである。通信、燃料、移動手段に至るまで自己完結の唯一の組織であったという指摘である。東北地方各地の駐屯地や基地が、ほかの行政機関に対する支援拠点の役割を果たした。備蓄したガソリン・燃料をパトカー、消防車、自治体に分けた。その量はドラム缶6000本に達した。給水3万2985トン、給食、10ケ所、471万5453食、入浴、21ヶ所97万293人に及んだ。ここで忘れていけないのは自衛隊を除いた公共機関が『常に最悪の事態に備える』心構えが欠如している点だ。自衛隊でも被害を出している。家族が被災した隊員数374人、死亡者344人、負傷者5人、安否不明者12人に上る。君塚陸将は三陸沖地震が99%起きるとみて関係県との防災訓練を実施してきた。『常在戦場』で必要な緊急物資を蓄えてきた。10万人動員を指示されても応じることができた。このようの心構えが県,市町村、警察、消防にあればもう少し迅速な救援対策がとれたであろう。何故編集者は君塚陸将を頂点とする自衛隊の活動に注目しなかったのか私にはわからない。戦後74年平和に慣れた日本人は戦うことを忘れて逃げることしか考えていないからだと思う。今回の大震災は地震より津波の被害が大きく、その被害も広域で甚大であった。地方自治体の機能の喪失という事態も加わりさらに原発事故も重なった。よけに組織のあり方とその能力が鋭く問われた。それに十分に答えたのは日ごろから国民からも政治からも冷遇されてきた自衛隊であった。その自衛隊がどのような実績を残したのか、記憶にとどめておく必要がある。人命救助、1万9286人、遺体収容、9500人(死者1万5511人の61%にあたる)医療支援、2万3370人(平成23年7月1日現在)に及ぶ。日米共同の支援救援作戦もうまくいった。真っ先に駆けつけたのは米軍であった。普天間にいる海兵隊、原子力空母「ロナルド・レーガン」が東北に派遣された。出動した航空機140機,艦艇15隻その規模2万人である。その中でのヒットは仙台空港の復旧作業であった。米軍は楽しげに滑走路上の泥の排出をやってのけた。日ごろ必要ないと思われたものが有事に立派に活躍する。日本人はこのことを忘れてはなるまい。米軍の沖縄の基地は有事の際に役に立つ。沖縄県民もこの事実を忘れないでほしい。
質問に答えて君塚陸将は「防衛大臣と毎日やりとりをし、報告や指示を受けた。菅総理も激励と指示を受けた。今回ほど政治との距離が身近に感じたことはなかった」と述べたがそれと同じように国民との距離も短くなったはずである。テント生活で支援活動を続ける自衛隊に住民たちが新鮮な野菜や取れたての卵を持ってその労に報いた話をあちこちで聞く。
私は講演が終わって君塚陸将に平成23年4月27日に行われた天皇陛下との会食について質問した。「日付は手帳を見ないと分からいが1時間ほど会食をしました。内容についてあまりしゃべらないでと口止めされている」と答えるにとどまった。陛下が自衛隊の幹部と会食するのは極めて異例な出来事である。それだけ今回の自衛隊の活躍が際立っていた。ここに平成時代を作った一人として追加する。

 
▲『れんげ草我も一度は子供なり』子規
れんげ草はゲンゲといい、中国原産。徳川時代に渡来。花言葉は「私の苦痛を和らげる」
▲昭和20年3月10日は東京大空襲の日である。死者10万人、負傷者11万人、家屋焼失失100万余戸、その後も空襲があり戦災社310万人に及ぶ。爆撃機B29は高度1万米を574キロの時速で飛んだのに日本の戦闘機は時速550キロだったと言うから米国の技術開発力はすごいものであった。当時私は岐阜の歩兵連隊に隊付中であった。隊付が終わって相武台に帰校する際に列車の中から東京の焼け跡を見た。
▲戦前、3月10日は『陸軍記念日』。昭和19年の3月10日は陸軍予科士官学校に在学中。日記によれば「午前4時に起床。払暁線を展開する」とある。
今年は午前7時50分に起床。思いついて「銀座一丁目新聞」の茶説の草稿を書く。
『れんげ草我らはいまは平和なり』悠々
▲雨の中日本アイスランド協会の総会・懇親会に出席した(3月7日。東京新宿グランベルホテル)。来年30週年を向かえる協会とあって懇親会は賑わった。現在理事役員は64名、法人会員34社、個人会員111名である。就任2年の安野清会長は「今後とも友好親善の実を図り会員同士の親睦に意を尽くしたい」と挨拶した。事業報告、決算報告などがあって総会を終えた。理事で日本子守唄協会理事長の西館好子さんが講演をした。「アイスランドのヴィクディス大統領は女性の地位向上など女性問題、教育問題、環境問題に力をつくした。子供の生育に有害な添加物を一切認めていない。学ぶところが多い国だ」と女性大統領との交流を通じての貴重な体験談を話した(ヴィクディス大統領は来日時、西館さんが主宰するみなと座の『糸女』を観劇)。
懇親会では久しぶりに武蔵野興業の社長河野義勝さんと夫人で同社の常務優子さん(二人共協会の理事)に会う、武蔵野興業の創立は大正9年5月。来年は100年周年である。『ぜひ武蔵野館を使ってアイスランドとのイベンをしたい』と張り切っていた。
会が始まる前ホテルのロビーで創立者のひとり佐藤充雄さんと雑談した。『あなたのこれからは女性の時代ですよの一言が私をアイスランドに目をむかさしてくれたんですよ』という。私はそんな事すっかり忘れていたが佐藤さんのその言葉を嬉しくうけとった。
▲『心の乱れ』が服装に現れる。天下にその醜を晒した。変装して海外のマスコミの目をごまかせると思ったのか。『作業姿』が新聞・テレビに載るなら背広姿でよかった。
あなたの人生はごまかしの人生であったのか。
これでは裁判には勝てないだろう。
日産のカルロス・ゴーン元会長(64)は、6日午後、作業服に帽子・マスクという変装した姿で出所、内外の報道カメラを欺こうとして失敗した。保釈金10億円払った人の所業とはとうてい思えない。私には見苦しく映った。
ゴーンさんは倒産寸前の日産に堂々と立ち向かったように降りかかってきた試練を男らしく立ち向かえば良いではないか。それが紳士というものだ。何故変装するのか。私に言わせればやましさが変装となったとも言える。
本人が言う通リに心にやましくなければ背広姿で堂々と出所するのが普通であろう。
私なら普通に背広姿で出所する。記者会見をせずに「ノーコメント」で通す。
▲元日産のカリスマ経営者ゴーン会長6日に保釈。保釈金10億円。勾留期間は昨年11月19日逮捕以来108日。貧乏・病気・獄は人間を鍛えるという。出所後のゴーン元会長の動向は興味深い。
▲中国はひたすらに『一帯一路一空一天』をめざす(遠藤誉著「『中国製造2025』の衝撃」・PHP刊)。
中国は第13期全国人民大会で成長率目標を『6から6.5%』に下げながら国防費は前年実績比7.5%増の1兆1898億元(約19兆8000億円)を計上。世界一の軍事大国へ向かう。この予算は米国に次ぐ世界2位の規模、日本の4倍に近く米国の4分の1である。
習近平はすでに『天空一体化する軍隊』建設を指示している。『宇宙軍』の創設である。それが『中華民族の偉大なる復興』につながると信じている。
これを見逃しておく米国でもあるまい。米中貿易戦争もその一環とも見ることができる。
▲今年の11月から12月に熊本県で開催される『女子ハンドボール世界選手権』の垂れ幕が「女性蔑視だ」と言うので4日までに垂れ幕を中止、謝罪したという(スポニチ)。
「ハードプレイがお好きなあなたに」
「手クニシャスそろってます」
事前に100人の職員が見たが誰も異議を唱えなかった。もともとは広告代理店の制作したもの。私も見ておかしいと思わなかった。
少し神経過敏ではないかと思う。
ツイターで問題が拡散した。こんなことで“事を収めていては人間は無難なことばかりをする。人間が小さくなってしまう。すでに「万事事なかれ主義時代」になっている・・・
▲雨の中の東京マラソン(3日)。
寒いのに沿道で声援を送るお客の多さにびっくりした。
マラソン参加人員3万8000人。2時間5分50秒の日本記録を持つ期待の大迫傑選手(27)は途中棄権、日本人選手で入賞したのは初マラソンの堀尾謙介選手(中央大学)の5位であった。
大迫選手は寒さに負け。堀尾選手は寒さに対する訓練をしてきたという。
この差は大きい。
▲靖国神社に参拝する(3月1日)さすが雨の日。参拝客はまばらであった。
皇后陛下御歌
『慰霊地は今安らかに水をたたふ
如何ばかり君ら水を欲りけむ』
遺書    陸軍伍長 森浅吉命
昭和20年3月29日モルッカ諸島モロタイ島で戦死
兵庫県飾磨郡家島町出身29歳

太平洋戦争時、米軍がモロタイ島に上陸したのは昭和19年9月15日であった。その日に飛行場を構成した。この日、同時にペリリュー島にも上陸。近くのハルマハラ島には32師団(師団長・石井嘉穂中将・陸士24期。陸大32期)が昭和19年5月から到着、モロタイ島には歩兵211連隊(連隊長・守田義輝大佐・陸士29期・戦死後少将)から川島威伸少佐を長とする第2遊撃隊484名(兵隊は台湾高砂族)が派遣されていた。遊撃隊もハルマハラ島からの飛行場奪還の切り込み隊もその攻撃はいずれも失敗に終わった。12月15日には巡視中の守田連隊長が戦死。後任の大内競大佐(陸士33期・陸大45期)も昭和20年5月まで10数次に及ぶ切り込み攻撃を行ったがいずれも成功しなかった。森伍長もこの切込み攻撃で戦死されたものと思われる。モロタイ島での戦死者は1727名を数える。モロタイ島に米軍が飛行場を作ったのはマッカーサー元帥のフイリッピン奪還作戦の足掛かりのためであった。
▲2月28日毎日新聞夕刊(3版)は一面で米朝首脳会談のニュースを一面トップで扱い「今日午後共同宣言」の見出しを掲げる、記事の中には共同宣言を署名とまで記述する。会談が物別れになったのだから明らかに“誤報”である。予定原稿をそのまま使ったのであろう。常に最悪のことを考えるのが新聞記者である。それを全く忘れている。記者の質が本当に落ちた。事態の推移わからない時は事実のみを書くというのが鉄則である。っこれでは新聞は衰弱する。
▲本欄で米朝首脳会談は「結局は『泰山鳴動して鼠一匹』という結果に落ち着くであろう」と書いた。一匹のネズミは『米朝の良好な関係は今後も続けてゆく』ということであった。
▲政府は親の子供への虐待防止のために児童福祉法と児童虐待防止法の改正案に親の体罰禁止を明記するという(2月27日毎日新聞)。
親が子供を育てる際、法律など頭にない。健やかに育ってほしいと願うだけである。欲を言えばほんの少しながら頭が良ければと思う。法律が介入する余地はない。
親が子供を殴る場合は頭を避けて“オケツ”を殴るように心がけた。だから民法822条で『親権を行うものは必要な範囲うちで自らその子を懲戒し』と決めているのだ。
『必要な範囲』とは言い得て明解である。子育ては千差万別である。人間の知恵である。
もし暴力を振るう親がいるとすればその親の教育が悪い。
すべてを法律で縛るという発想は人間の自由活発に生きようとする意欲を阻害する。
嫌な世の中になった。
XOOPS Cube PROJECT